陣痛はその強さをどんどん増している。
それでもまだ自分でトイレに行けたし、ご飯も食べることができた。
痛みの波のピーク時にDさんに背中をさすってもらうだけですんでいた(5分おきだけど)。
お昼過ぎ、カイロを背中に貼ると陣痛が和らぐ、と本で読んだことがあるので、かばんの中に入れておいたカイロを背中に貼ってみる。
しかし、私にとって、これがいけなかった(いや、お産全体からみれば良かったのか?)。
この頃から、陣痛が激痛に変わったのだ。
痛いっ、痛いっ、痛いよー!
痛みに弱い私。
陣痛の波がピークに達する度に声を出すようになった。
勉強したことを思い出す。
全身の力を抜いて、痛みを受け入れる。
息を細く長く「ふーっ」と吐く。
息は吐ききる。
・・・
できるかーっ!!
・・・できなかった。
それでも途中までは頑張ったのよ。
Dさんの服にしがみつき、声を殺して必死でふーって息を吐いた。
次第に、受け入れられる許容を超えた。
痛みのピークが来るたびにそれは恐怖となって、私を狂わせた。
陣痛はすでに1分間隔くらいだった。
1分おきにその恐怖は来る。
破水。
破水をすると痛みはさらに増した。
「いやーっ!」
「痛いっ痛い―っ」
「どうすればいいの!?」
「あーーっ、っいああぁああーー!」
叫ばずにいられなかった。
そのたびに助産師さんが私に注意をする。
「息を吐くことに集中して、息を吐ききって。体の力をぬいて。腰はそらせない、体を丸くして。そうやって力を入れると、赤ちゃんが苦しいのよ?」
何度も言われた。
でも、できなかった。
「息を吐いて、ふーっ、ふーっ、できとるよ、できとるよ!」
陣痛が激痛に変わってから分娩室に移動するまで、何時間も同じ姿勢で私の背中をさすりながらDさんが呼吸を誘導し、励ましてくれる。
「はああああ、ふうううううううう!ふううううううううっ!」」
それに応えようとはするけれど、やっぱりピーク時の痛みを受け入れられず叫ぶ私。
そんなDさんに申し訳なくて、申し訳なくて、同室にいた人たちに対して恥ずかしくて恥ずかしくて、すごい情けない気持ちだった。
「冴子さん、分娩室に移ってみましょうか?」
助産師さんが言った。
「・・・歩けない。」
そう言うと、助産師さんが首を振った。
「皆さん、歩くんです。」
痛みのピークがおさまり、次のピークが来るまでのわずかな時間に、歩いて隣の分娩室に移動した。
移ってから数回のピークをむかえた後、Drが来た。
そして助産師さんが言った。
「次がきたら、息を吐きながらいきんでみて」
言われている意味を理解しきれなかったけど、お通じするときみたいに力を入れればいいんだよね?と思い、次の波が来た時、やってみた。
当然そんな簡単に赤ちゃんは出てこない。
波が来るたびにいきんだ。
何度もいきんだ。
汚いけど、その途中お通じも出たと思う。
そんなことをしているうちに、スタッフの数が増えてあわただしくなってきた。
出産が近いのだと思った。
(もうすぐだ、もうすぐだ、苦しいよ、つらいよ、カズナ、早く出てきて、早く出てこい!!)
「髪の毛が見えてるよ」
助産師さんが言った。
じゃあもう少しね?もう少しね?
それから数回いきみを繰り返した後、助産師さんが言った。
「次で出てくるかな。」
本当?
でも、次では出てこなかった。
次の次の次くらいになった。
「産まれたよ!」
へっ?
次の瞬間、「おぎゃー、おぎゃー」と元気な産声が聞こえた。
見ると、メガネをはずしてぼやけた私の視界に、カズナがいた。
出てきた感覚はなかった。
(サルだ・・・。)
それから、産まれたての赤ちゃんって、もっとどろどろして汚いんだろうなって思ってたけど、無臭だし全然きれいだって思った。
愛おしいとか、感動したとかはなかった。
正直、やっと痛みの元凶が出た、そう思った。
そんな私へ罰が下った。
卵膜(赤ちゃんや羊水を包んでいた膜)が全部出きらなかったと言い、直後器具を使い、Drが私のお腹の中をさぐり始めたのだ。
また激痛が走る。
「いやっ、痛い!!」
再び叫ぶ私。
一連の処置が終わり、ぐったりした私のもとにカズナが連れてこられた。
手をのばしてカズナの手に触れると、カズナはギュッと私の指を握った(そういう反射行動ってだけなんだけどね)。
お前、無事に産まれてきたんだねぇ。
やっとほっとすることができた。
その後、初乳を吸わせてください、と助産師さんに頼むと、助産師さんはカズナを私の上に乗せ、初乳を吸わせてくれた。
そうして
12月13日、午後4時29分
3190gの男児を出産しました。
出血量が1000ml近くありましたが、点滴の量を増やされただけで、輸血まではされませんでした。
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